血天井、俵屋宗達、五右衛門◆養源院
続きまして...三十三間堂横にある、
養源院へ行って参りました。
◆養源院略由緒より◆
豊臣秀吉の側室、淀殿(浅井茶々)が父、浅井長政の追善の為、
養源院を建立し、長政の従弟で比叡山の僧であった、成伯法印を
開山とし、長政の院号を以って寺号としたのは、
文禄3年(1594年)である。
後に火災にあい、元和7年(1621年)徳川秀忠が
正室・崇源院殿の願により伏見城の遺構を移建し、
徳川家の菩提所となる。
◇血天井◇
本堂の左右と正面の三方の廊下の天井は、伏見城落城の時、
鳥居元忠以下の将士が城を死守し、
最後に自刃した廊下の板の間を供養のため天井としたもので
世に血天井と称して名高い。
◇俵屋宗達の襖絵と杉戸絵◇
本堂の襖(12面)杉戸(8面)の絵は俵屋宗達の筆で、
自刃した将士たちの供養の為に「お念仏、御回向」にちなんだ
絵を画いたもので、杉戸には象や獅子や麒麟等の珍しい行動を
画いて居り其の表現が奇抜で新鮮美に溢れ、又曲線美の効果が
素晴らしい(...そぅだ。)
◇鶯張廊下◇
本堂の廊下は総て左甚五郎の造った、うぐいす張り。
ここで初めて、天下の石川五右衛門が捕まったのだとか。
そぉ〜っと歩く程、
ホ〜...ホケキョッ!っと鳴くそぅな...逃!
はぃ...
どれが目的かといいますと...
もちろん、
血天井デス♪
前に、本で見た、手形くっきり!!が忘れられず...
親友ちゃん達が見に行こうっと言った時には、
(恐縮ですが...)テンション上がりました↑
早速、門をくぐると、右手に
撮ってはいけないような...ムード満点な場が...
ので、
手前の、
あ(左)、うん(右)の
あ 君の方を撮ってみました
ら
お怪我をしておられるのか!?包帯が巻かれておりました!?
うっ...と
思いつつ...進んで
進んで
到着です。
境内、撮影禁止(撮ったら供養が必要だとか!?)なので
こちらの獅子君を載せてみました。
この獅子君の左には、
どの方向から見ても真っ正面を見ている
黒獅子君がいました。
境内は、薄暗く、案内順にどんどん進んでいく感じでした。
案内テープを聞く→進む、口頭説明→進む...
で
上で紹介したような説明が聞けます。
血天井の、将軍痕はなかなかリアルで凄まじかったです。
2ヶ月放置の血と油がしみ込んだ血天井...
歴史を生で実感出来た瞬間でした...はぃ。
それでは、次行ってみよぅ〜!
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by Ro3y
| 2009-02-24 01:36
| Kyoto